フィリピンでのお引越し

2016.11.23-- 最終更新日:2020/02/03

フィリピンの引越し実体験をレポート!業者に頼んでもっとスマートにやる方法もあるかもしれませんが、こちらはあくまでフィリピン人パワーを使った力技の引越しです(笑)

意外に簡単!?フィリピンでのお引越し

日本からの移住を含め、すでに3回引越ししました。

仕事の都合や娘の生活、教育環境など、いろんな諸事情が絡んでの引越しとなってしまいましたが、それもこれも日本からフィリピンに来るときに、ほとんど準備せずに来てしまった報いです(泣)

それでもなんとか切り抜けてこられたのはフィリピン人パワーのおかげ(笑)

1回目:日本~フィリピンセブ島セブシティ

日本からは引越しと言っても、業者に頼んで家電や家具などの大荷物を運んできたわけじゃないので、引越しと言えるかどうか(笑)

フィリピンに渡航した際には、スーツケース一個にキャリーバック、そしてナップサックを持ってただけ。自分で運ぶ荷物は超過料金がかからないギリギリに抑えてフィリピンに来ました。(まさに身一つって感じ。)

持っていけない(自分で運びたくないものやかさばるもの、すぐに必要じゃないものなど)は事前に国際宅急便で送っちゃいましたしね。。

先にフィリピンに行かせた妻と娘もそんな感じです。普通の海外旅行と何ら変わりない・・・まあ私たちの場合は、海外旅行というより帰省ですが(笑)

ちなみにこの時のことはフィリピン移住手続き編にまとめてありますので、そちらもご覧ください。

2回目:セブ島セブシティ~マクタン島ラプラプシティ

フィリピンに移住して最初の仮住まいはセブ島にあるセブシティ。
旧市街のオスメニアサークルからタクシーで10分ぐらいのビレッジ内に部屋を借りていました。

交通の便も良くて、ショッピングモールなどにも近かったので、気に入ってはいたんですが、住み始めて約5か月で引越し決定。

フィリピン人の友人がラプラプシティに新しく開発されたタウンハウスを購入し、そこを間借りさせてくれるというオファーがあったので、引越しすることに決めました。

セブシティのこの家は家具・家電付きだったので、大きな荷物は特になかったんですが日本から持ってきたもの、こっちで買い揃えた生活必需品、そして日本から送った大箱荷物が加わっていたので、運ぶ荷物もかなり増量。

どうするのかなぁ~なんて気楽に構えていたんですが、そこはフィリピン人パワーの便利なところ。

親戚やら友人やらメイドやらがわらわら集まってきて(笑)、どこからか調達してきたダンボールや巨大なプラスチックバックに次々と荷物を詰めていきます。

ホントにあっという間に荷造り完了(驚)

日本で荷造りしたときの大変さから比べたらなんて快適なことか。

引越しの日には平ボディータイプのトラックが家の前に横付けされ、これまたあっという間に荷積み完了。荷物と一緒にトラックの荷台に乗って新居に移動です。(笑)

この時にかかった費用はこのトラックのチャーター費用の2,000ペソ(約5,000円)ぐらい。荷造りの人件費は食事代ぐらいでしたので、なんと経済的なことか。

3回目:マクタン島ラプラプシティ~ミンダナオ島ローカルシティ

ミンダナオ島というと、えっ!?と思う方もいるかもしれませんが、ここは妻の実家なんです。

結婚式もここでやりましたし、娘が生まれたのもここ。
これまた諸事情が絡み、引越し決定です。

セブシティからラプラプシティは島違いでも、橋が架かっているのでトラック移動で済みましたが、今回はそうはいきません。

いつも帰省する際にはセブ島から運航しているフェリーボートを使っていますが、さすがに引越しともなると勝手が違います。

それにラプラプでは、テレビやエアコン、ベッドや本棚、デスクといった家電や家具なども揃えたので、荷物もはるかに増えています。

さあどうするのかと思っていましたが、ここでもフィリピンパワー炸裂(笑)

またもや親戚、友人のフィリピン人パワーであっという間に荷造り完了。
荷物はトラックでフェリー会社に運び、コンテナに積み込み。

私たちはいつも通りスーツケースと手荷物だけでボートに乗り込み、一路ミンダナオを目指します。

夜セブを出発したフェリーは翌早朝にミンダナオ島に到着。

そのまま妻の実家に移動し、コンテナで運ばれてきた荷物も午後には家に続々と運ばれてきました。

今回も私がやったのは梱包を少し手伝っただけ。あとはみんなやってくれました(嬉)

ちなみに今回は、船のコンテナや自分たちのチケットもあったので、前回よりも少しお金がかかりましたが、それでもかかった費用はトータルでも2~3万円ぐらいでしょうかね。

こうやって書くと実に簡単に聞こえますが、結構大掛かりなプロジェクトですよ(笑)日本でこれだけのことをやろうと思ったら、自分も相当働かなきゃならないだろうし、お金もかなりかかったと思います。

実際、フィリピンの協力者なしで自分だけだったらここまで効率良くはできなかったでしょうね(笑)

まあフィリピンなんで、結果オーライ的ではありますが・・・